投稿「重要な政策課題に対する公明党・創価学会の対応について」

学会においてしかるべき役職を歴任され、現在も現役幹部として、会員や公明党関係者からも慕われ、相談を受ける事の多い方から、当サイトに対して投稿がありました。今回の安保問題で質問や相談を受ける中で思索を重ねられ、当サイトの趣旨にも理解と賛同を寄せられており、前記「意見書」と共に、心ある学会幹部の方の貴重な建設的意見として、ここに掲載させていただきます。

◆投稿「重要な政策課題に対する公明党・創価学会の対応について」

私の考えの根幹は、こうした政治問題(より的確には世論を二分するような最重要な政策課題というべきでしょうか)に関する、公明党及び創価学会の対応はいかにあるべきかというテーマに尽きます。

◆政治に絶対はない

学会員の立場で政治を考えるとき、政治には、宗教的世界とは異なり絶対はなく相対的世界であることを、まず抑えておかなければならない基本です。政策、法案に関しては、絶対的に正しい選択ということ自体がないのだということです。どのような政策でも、100%の国民が賛成する政策はあり得ないからです。

政治の基本は、税制にあると言われますが、所得税、相続税を考えてみます。金持ちは所得や資産の半分も税金に取られてはかなわないと考えるでしょう。貧乏人はそれでも金持ちは依然として金持ちだ、金持ちからたくさん取って富の再配分をすべきだと考える人が多いでしょう。どのように決めるのが正しいかは人によって異なります。政治が、一種の技術、バランスシステムであると言われる所以です。

◆なぜ学会は公明党を支援するのか?

もともとは学会が公明党を創設したという原点があるからですが、換言すれば生命の尊厳、平和主義、庶民・大衆の立場に立脚するとの理念・党是が仏法、学会思想の反映であると信ずるからにほかありません。またそうした理念を政治に反映させて欲しいと願うからだといえます(当初の政界進出の意図は別にあったことは周知の事実として)。

従って国論を二分するような政策では公明党は結党の基本理念に立ち返り判断をするべきですし、国民政党として弱者の立場に立つべきです。執行部として政権との妥協を優先するというなら、せめて党議拘束をはずし、議員個々の考えに任せるべきだと私が主張するのは、こうした論拠が背景にあります。

◆支援の基準を示すべき

政治が相対的世界であるということは、同じ信仰を有する学会員、学会幹部なのだから、公明党を支援しなければならないということ自体が本来矛盾をはらんでいます。まして自公連立だから小選挙区で自民党候補者を支援しようというのは言語道断に近い無理筋だといえます。選挙の際に各選挙区で社会協議会を開催し支援を決定することになっていますが、これが形骸化していることは明らかです。人物本位に支援しているというならせめてその評価基準(評価項目)と評価結果(いわゆる通信簿)を内外に公開すべきであると考えます。

◆党是よりも自公連立維持が優先なのか

公明党は、基本政策に関して、公党として明確な対応、判断をしなければならないのは当然です。国民及び支持者が一番見ているのは、どのような理念と基準に基づいて決めたのか、ということだと思います。

少なくとも今回の安保法制では何よりも自公連立維持を最優先し、根幹たるべき党是を軽んじた選択であるというのが、世論だけでなく心ある会員の公明党に対する厳しい評価であると思います。しかも,真相はどうも党というより学会中枢の決断であったという見方も散見されるようになっています。手前勝手な使い分け、ごまかしは効かなくなってきています。

◆「政教分離」という自己矛盾

創価学会は、政教分離の原則から政治的マターに関してはコメントをしないという基本スタンスかもしれませんが、その考え自体が自己矛盾です。学会では長年にわたって選挙の結果を組織成果の最大のバロメーターとしていること、つまり支援活動が学会の最重要の活動であることは会員にとっては自明であり、少なくとも学会の基本理念に抵触する政策に関しては、厳然と見解を発信するべきだと多くの会員は考えているはずです。

学会が広宣流布の成果としてその一大勢力を誇示しているのですから、日本社会に大きな位置を占める組織として責任を有しています。明確な考えを表明することは当然であると見るのが見識というものです。逆に何もコメントを発しないとなれば、その「ノーコメント」という対応自体が、疑問視されてしまいます。何も言わないのはずるい、逃げていると見做されてしまいます。

◆ご都合主義はもはや通用しない

ほぼ月に数回のペースで学会―公明党連絡会議を開催していることは内外に周知されていますので、その議事録を公開するなどの対応が必要だと考えます。

秘密保護法、集団的自衛権行使容認に関しては間違いなく学会側の委員から異論が出ていたはずですから、どのような議論のやり取りで学会側は承認したのかを、公にするべきでしょう。もしそれができないというのであれば、連絡会議は体外的な見せ掛けの“儀式”でしかないことになり、少なくとも会の運営が会員第一ではないことになります。

しかもやはり実質的決定権は学会側にあり、最後は池田名誉会長の決断だと疑念をもたれても止むを得ないと考えます。「うまくやるんだ!」といった一種のご都合主義、党と学会の使い分けは、もはや通用しない時代です。

◆意見を表明しない聖教新聞

過去には何回も、憲法改正問題、教育問題、環境問題、外交等の重要な政策課題に関しては、一般紙へ池田名誉会長のコメントとして寄稿文、インタビュー記事が出ることがありました。出版物、講演等で述べることもたびたびでした。ここ数年は健康上の理由からでしょうか、まったくこの種の発信がありません。逆に言えばそれだけ健康状態がよくないということが想像されます。

会の発信としても、一昨年の秘密保護法のときも、聖教新聞の社説等では一切論述されることはありませんでした。集団的自衛権に関しては、昨年(2014 年)5月、朝日新聞が学会広報室見解としてスクープしましたが、現在まで聖教新聞で意見を表明したことはありません。学会本部、聖教新聞社宛てにはさまざまな意見が手紙、ファックス、電話等で寄せられていると聞いていますが、毎月開催される本部幹部会で会長等最高幹部の話で触れられることもありません。

◆強まる内部指向

学会では宗門問題が起こる以前には、池田会長自身が、そして青年部等でも、王仏冥合論、総体革命論などの観点から内外に向けて種々の社会発信がされていました。青年部による全国的反戦出版活動、核廃絶署名運動等の社会活動が盛んでした。教育部、ドクター部などの対外活動もよくやっていました。

ここ十数年池田名誉会長は、海外へも、国内を動くことも少なく、会員との接点は本幹同中放送による一方通行で、内容的にも内部指向の指導性が強まってきました。学会本部も各組織も対社会的ベクトルは微弱でした。ただ国政選挙では自公の関係強化で票のバーターが行われるようになり、公明党の得票数としては、最高で800万を超えることもありました。しかし会のエネルギーそのものは質量ともに長い低落傾向を辿っていることに相違ないと思います。今春の地方選では、完全勝利を謳歌してきた過去と異なり、首都圏をはじめ、共産党より低得票数しか得られなかった選挙区が続出し,取りこぼしが目立ちました。

◆宗教が権力に魂を売るのは致命的!

冷静に見てくるとここ十数年の学会の基本スタンスは、権力側にい続けることが最優先であることが見えてきます。

それはなぜなのか? 持てる側にいる方が居心地いいのか、政策を実現しやすいといった利得のためでしょうか。もはや政教分離問題、国会への証人喚問懸念といった理由ではないことは確かなようです。それはXdayを意識してのことだと囁かれていますが、権力側に足元を見透かされているのかもしれません。

どのような理由であれ、宗教が魂を権力、体制側に売ることになれば致命的です。少なくとも法華経、日蓮の思想、牧口・戸田・池田が主導してきた学会精神とは遠くかけ離れた真逆の姿だといえるでしょう。

◆苦渋の決断!?

もちろん公明党も学会も、集団的自衛権行使容認を本当は望んではいませんでした。できれば安倍総理に諦めてもらいたい、何回かジャブを打てば引っ込めてくれるのではないかと、期待感を抱いていました。昨年前半までしばしば発せられていた公明党首脳からの危惧表明、学会広報室見解等にその心中が表れていました。しかし安倍総理のほうが何枚も上手でした。学会・公明党側の腹の底を見抜いていたのです。安倍総理からの維新へのラブコールも効きました。最終的に公明党は与党協議で何重にも制限を掛けることで妥協しました。苦渋の決断だったと想像されます。

創価大学を始め各地で、会員の中から公明党批判が惹起されている現状を見て、執行部の間には、「この苦渋の決断を分かってくれないのか! ここまで頑張ったのに同苦してくれないのか!」と、忸怩たる思いが広がっているだろうと憐憫いたします。しかし名誉会長以下、鉄壁の一枚岩を誇ってきた組織に、ひびが入り始めたことは、もはや必然であったと解すべきです。善知識、瑞兆だと前向きに評価して、今後の舵を執られることを切望します。